雨。外出せずTwitchを垂れ流したり統計学をだらだら勉強したり。
Twitterで某教授が亡くなったと知った。俺はこの方が過去にたびたび物議を醸す発言をしていたらしいことくらいは知っているが、授業を受けたことはないし具体的に何を言っていたのかも知らないので、亡くなったと聞いても特に強く思うところはない。それより今回ちょっと気になった*1のは訃報に続いて目にした「〜の授業受けてみたかったのに」とか「〜先生には本当にお世話になった」のようなツイートである。なんかこういうツイートって、その人が亡くなったことによって失われるのは、その人そのものよりもむしろその人がもたらしてくれるものであると言っているようにも感じる(ツイ主が実際のところそういう意図でツイートしているかは知らない。そういう勝手な憶測もできるというだけ)。さらにいうと、もしかするとその何かは、その人じゃなくてももたらせるものだったかもしれない。もちろん実際にはその人はとてもすごい人で、その何かをもたらせる人がこの世にその人しかいなかった、という可能性はありえる。でもそうじゃないものだってそれなりにあるはずだ。で、亡くなった方への反応ってこれ以外できないんだろうか。その人がもたらしてくれるものの喪失ではなく、かけがえのないその人の死そのものを悼むことって可能なんだろうか。というパスカル的(?)で剥奪説的(?)で新しみのないことをふと考えたという話。
*1:本当のことを言うと、今回だけでなく、誰かの訃報への反応をネットで見る度に、ここに書いたようなことが気になっている。


