2026/09/09

当たり前だけど、毎日寿命は1日ずつ減り、死に近づいていっている。その分、昨日より今日人生が何かしらの点で前進していればいいなと思うが、何をすれば前進したことになるのかよくわからない。楽しいことはまあまああるけど、それらが人生を前進させるかというと特にそういうわけではない気がする。職場の人たちは、社会の人たちは、中長期的視点では日々何を考えて生活しているのだろう。中長期的なことなんて考えずに目の前の仕事に必死なんだろうか。

2026/08/29

今年見たポストの中で一番醜い。醜すぎてもはや面白くて、どこかにこのことを書かずにいられなかった。自分が迷惑を被らず傍観者でいられる範囲でこういうのを見かけると、怒りや呆れを感じるよりも可笑しさを感じてしまう。

元ポストの虚偽もなかなかえぐいが(そのポスト自体は削除されているが、そのスクショが引用欄から見られる)、上のリプに比べれば全然ましに思える。この意味のわからない弁明は本当に何。たとえ前後の文脈があろうと、「…と「あとがき」で書いている」という元ポストの表現を普通に読めば、それが原文に基づくものであるものと解釈されるだろう。そもそも、思い出しながら書いたという事情があったら誤情報を流すことが正当化されるわけでもない。素直に「本を読み返さずにうろ覚えで不正確なツイートをしてしまいました、すみません」って言うのではだめなんだろうか。何がこんなにプライドを肥大化させるんだろうか。国際政治学の世界で名を揚げたら俺もこうなってしまうんだろうか。

とはいえ自分が明らかに悪いときにプライドが邪魔して素直に謝れないことは俺にも多かれ少なかれあるので、そこは反面教師にしよう。

2026/08/21

打刻システムがメンテ中のせいで帰れないことをソードアートオンラインと言いたくなったり、昔有能な人が作ったVBAマクロが生成AIの発展のせいで誰でも作れるようになってしまったことをゾルトラークと言いたくなったりするが、職場の人たちには絶対に伝わらないので言えない。ジェネギャはあるけど居心地はよい職場です。

2026/08/15

小川哲『斜め45度の処世術』「社会人になっても友人関係を続けるには」

 僕がいまでも定期的に会っている友人グループの共通点を探っていくと、グループ内に「言い出しっぺ」が必ずいることがわかる。その人物がメンバーに声をかけ、日程を調整し、お店を予約してくれているから、友人関係を維持することができている。もっというと、「大人になっても友人関係を維持できるかどうか」は、「学生時代にどれだけ仲がよかったか」と無関係だったりもする。

 僕が大学生の時にいちばん仲がよくて、毎日昼から夜まで一緒にいた友人とは、もうしばらく連絡も取っていない。僕もその友人も、どちらも「言い出しっぺ」ではないからだ。大学生の時は、キャンパスへ行けば自動的に会えていたけれど、卒業してからはどちらかが声をかけないと会う機会がない。そうやって親友とも疎遠になる。

 まだ若い人にはピンとこないだろうけど、友情が長く続くかどうかは、過ごした時間の尊さではなく、「言い出しっぺ」の有無によって決まることもあるのだ。

この本、みんな気づいていることではあるけど改めて言葉で思い出させてもらうとありがたい金言が多い。自己啓発本?

2025/08/06

永井均『倫理とは何か』(ちくま学芸文庫版)p.27

「ふつうは、倫理学の主要な問題といえば、たとえば、成人どうしの合意による売春は、だれにも害を与えないのだから、道徳的に悪くないのではなかろうか、といった問いだな。自分の腎臓を商品として売り出しては、どうしていけないのか、とかね。しかしね、こんな問題はチャチだな。問われるべき最も根本的な問いは、そもそも「いけない」とはどういうことか、とか、なぜ、およそ「いけない」ことなどが存在しうるのか、とか、そういう問題だと思うね。逆に言いかえれば、一般的に「他人にとって悪い」という意味で「してはいけない」とされることを、人は「してもいい」のではないか、といった問題だ。」

その通りだと思う。この本は道徳の外部の視点から書かれていて個人的には共感できるんだけど、全編がまるまる論証の吟味だらけで、しかも論証の進め方を含めた書き方のスタイルが論文とかと異なるので、腰を据えて読む必要があってなかなか大変だ。

2026/08/04

ハルワニ『愛・セックス・結婚の哲学』を読んでいたらなんだかとても尊いような気がすることが書いてあったので共有したい。尊いかどうかよりもここに書かれていることが正しいかどうかを考えるのが哲学的態度だと思うが、まあ尊いものは尊いからいいのだ。

〔文脈:恋愛において、愛する相手が唯一無二で替えのきかない存在であるという考えは誤りである。しかし多くの人々は、自尊心を保つため、自分は唯一無二で替えのきかない存在だからこそ愛されている、と誤って信じ込んでいる。〕

とはいえ、誤った信念をもとに自尊心を保つというのは、よい考えではありません。これは自己矛盾ですらあるかもしれません。なぜなら、自分が実際には唯一無二でも代替不可能でもないならば、その逆を信じることは、真実にもとづいて生きることが自尊心の前提条件である限りにおいて、自分の自尊心を駄目にしてしまうからです。おそらく、私たちは自尊心を保ち、自分が唯一無二ではないにもかかわらず、あるいは唯一無二ではないからこそ、そして自分が他者と同じような性質をもっているにもかかわらず、あるいはそれだからこそ、誰か(これがであるかに多くがかかっているのですが)が自分を愛してくれていると知ることに価値があるのです。次の発話は完全に意味の通るものです。「私が興味をひく仕方で唯一無二だから私を愛しているって?そんなことを知ってもまったく私の自尊心は高まりませんよ。そんなのは安易な愛です!私はあなたが、私が興味をひく仕方では何も唯一無二ではないにもかかわらず、私を愛してほしいのです!」。(p.67)

 

ところでこの本、ひとりで読み進めるよりも読書会とかを開いて誰かとちまちま読んでいく方がよい種類の本の気がしてならない。誰か一緒に読みませんか。

2026/06/28

多様性自体に大した価値はなくて、価値があるのは多様性からもたらされる自由やサービスであるのと同じように、色々な経験をすること自体に大した価値はなくて、価値があるのは経験から得られる何かなのだと思う。(こういうことをいきなりツイートし出すのはなんか気恥ずかしいのでここでこそこそ言う)