2024/06/15

某バンドが差別的表現で炎上している。

俺は中等教育における「古典」科目の比重をもう少し下げるべきではないかと常々思っているんだが、こういう炎上を見ると、古典の時間の一部を削り、代わりに差別や植民地主義の歴史を教えたり、民族・移民・LGBTQ+・障害・階層などについての理解を深めたりする「人権」という科目でも作ればいいんじゃないか、と思う。そうしたらこういう無知ゆえの過ちを犯す人の数は減るのではないか。

(ちなみに沽券を守るために言っておくと古典が苦手/嫌いだから古典教育縮小派になったわけではない。受験生のころは漢文が一番好きな科目だったしセンターの古典は100/100だった。昔の文書を読んだりその重要性を理解して継承していったりするためにはいつの時代にも古典を読める人材が一定数必要であることも、現代日本語に古文・漢文が大きな影響を与えていることも、わかっているつもりではある*1。一応。しかし、私たちが現代社会を生きる上で身につけるべきと思われる知識が他にも様々にあるなかで、現在の古典教育の比重は果たして適正なのだろうか、というのが気になる。)

なお、上に挙げた「人権」のような科目を実際に作ろうとしたらすばらしい右翼の方々から激しい批判が湧き上がると予想される。

 

*1:Twitterで古典教育の必要性が話題になると、「古典の教養がないと〇〇の意味・面白さを理解できなくなるから〜」みたいなことを言うやつが出てきてしかもそれに結構いいねがつくのを目にすることがあるが、知らなくても大きな実害のないことは現代ではネットで調べればいいし、単に何かを楽しむための教養として古典教育が必要だという筋の議論も古典縮小・廃止派には響かないだろう。この手の話はむしろ「やっぱりその程度のことにしか役に立たないよな」という印象を相手に抱かせるだけだと思う。