2024/05/21

意識を含む生命現象を機械論(目的論を機械論的な自然選択説に還元する「目的律teleonomy」)で説明し尽くすことはできない。生命現象を説明するためには、アリストテレス的な目的論、つまり、個々の生物には目的指向的な性向*1が内在する、とする考え方を、機械論には還元されない自律的な説明様式として採用する必要がある。

生物個体ごとの目的指向性には差異があり、その差異が目的指向性自体の進化をもたらす。生物が進化する中で、環境からの刺激に反応して柔軟に行動する能力が進化していく。生存のために求められる行動の柔軟性がどんどん高度になっていくと、感覚刺激に単に受動的に反応するだけでは生き残れなくなる。そうすると、一人称的な視点から得た情報をもとにその生物自身がもつ理由や目的に照らして主体的に行動を選択する能力が進化していく。意識が「主観的」「個人的」「私秘的」と特徴づけられるのは、意識が個々の生物の主体性と結びついているからであり、また生物の能力、性質、環境などが個体ごとに異なるからである。

意識自体の適応度を考えるのはナンセンス。意識が要求するのは適応度からの機械論的な説明ではなく、目的論的な説明である。意識はそれ自体が何らかの適応的機能を果たすものではなく、適応的な諸行為を選択するための前提条件、土台だと考えるべき。

 

…的なことを最後の方で言ってたかもしれないし言ってないかもしれない。生命現象には機械論的には説明し尽くせないことがあって、自律的な目的論を現代の進化生物学に組み込むべきだという話はすごい。全体的に「意識」「行為者性」「目的」「理由」といった概念を人間中心主義的に捉えるのをやめて高度な認知能力をもたない生物にも拡張して帰属していこうという姿勢。バカすぎて理解し切れてないんでまた読もう。

*1:この目的指向性には意思や欲求といった高度な認知能力は必須ではない。